吉岡 幸雄
先日、伏見にある酒造会社の副社長におめにかかった。そのおり、開口一番、「江戸時代にもどる、ということは、言口でいうのは簡単ですが、実際にはなかなかむつかしいものですね」と言われた。私が最近上梓した『日本の色を染める』(岩波新書) という本を読んでくださっての感想である。
私の仕事は、植物染、あるいは草木染といったほうがわかりやすいかもしれない。自然界に生育している植物の花や実、樹皮、根などから色を汲み出して、糸や布に染めることをもっぱらとしている。こうした仕事は、日本では古代から江戸時代の終わりまで、どこの染屋でも行なってきたことである。
ところが、十八世紀半ば、イギリスにはじまった産業革命により、十九世紀には、染料や薬も化学的に合成されるようになり、それが明治時代に日本へも将来されて、色を染める技術も一変したのである。
私の家は、江戸時代の文化年間に、吉岡憲法染の流れを汲む染屋で修業を重ねたあと、屋号をもらって独立した。初代はもちろん、激動の明治維新を生き抜いた二代目も、紅花の花びらや
ところが明治も二十年代になると、染色界にも西洋の産業革命の波は押し寄せ、堀川に沿うように軒を連ねていた染屋も、つぎつぎと化学染料を取り入れていった。私の家も例外ではなかった。
しかしながら、第二次世界大戦のあと、家業を継いだ私の父と、その跡をうけた私は、時の流れに逆行するかのように、日本古来の植物染にもどろうとした。
そのような経緯とその技術を、冒頭の酒造会社の方は、「江戸時代にもどる」と表現されたのである。というのも、その会社も、純米酒にこだわって、日本酒本来の醸造法と味の追求に打ち込んでおられるからである。
ところが、どちらの仕事も
植物染では、花や根などの色をつける材料を手に入れることも今日では問題ではあるが、もうひとつ、「灰」という重要な材料がある。
たとえば、紅花を用いて輝くような赤の色を表現するには、藁灰が大量に必要なのである。冬が近くなると、竃で毎日のように燃やして黒灰の状態で止める。その灰に熱湯を注いで成分を抽出する。いまでは、コンバインでの収穫があたりまえになっており、籾をとった残りの稲藁はその場で小さく刻んで田圃へ返してしまう。そこで、私の工房では、近くで有機農業を営む農家から、昔ふうに天日に干してから収穫された稲藁を大量にわけてもらっている。
また、紫を染めるためには、椿の生木を燃やした灰も必要である。そして、藍染には櫟の灰がこれまた大量にいる。
灰は、酒つくりにも陶磁器つくりにも、農業にも、重要なものである。江戸時代のはじめ頃、
衣と食にかかわる者として、自然界の循環を守りながら、江戸時代の職人の世界にもどりたいものだと、その夜二人で大いに語り合ったのである。
(2003年8月 京都新聞夕刊「現代の言葉」に掲載)