五月の中頃をすぎると、杜若の花便りあちこちから聞こえてくる。剣を立てたような深い緑の葉の重なりのうえに、わずかに赤味をおびた紫の花がのったように咲いている。
京都であれば、上賀茂神社の末社、大田神社の群生がよく知られている。山科の勧修寺の花も見事である。その美しい姿を見ると、誰もが鮮やかな花の色を衣に写したいという衝動にかられるだろう。
万葉の大らかな時代の人は、「住吉の浅沢小野の杜若衣に摺りつけ着む日知らずも」という歌をのこしている。花染、あるいは摺り染という、子供が道すがら野に咲く花を摺るような遊び心を歌っているのである。だが、このような幼稚な染色では、しばらくは花の色が保たれているが、水に遭えばたちまち流れてしまう。
杜若の花のような紫の色は、古来、高貴な色として尊ばれてきた。それをあらわすには、中国や日本では紫草の根を用いる。
紫草は、杜若と同じ頃に花をつけるが、それは白く小さく可憐である。その草の姿からは、紫の色はまったく観ることはできない。
土のなかに伸びている根に色素が含まれているのである。
私たちの工房では、この根を石臼で搗いてから麻の袋に入れ、湯のなかで揉みながら紫の色を出す。これで染めたあとは椿の生木を焼いてつくった灰の液を漉したもので発色していくと、杜若の花の色になる。
杜若色、杜若の襲の色目について
より詳しくは『日本の色辞典』をご覧ください。
吉岡幸雄・著 (紫紅社刊)