清らかな流れに出会って、美味しい鮎をたべたい、と思うような季節になってきた。
水色という色名はかなり古くから使われていた。
平安時代の宇多天皇から堀河天皇までの十五代にわたって、宮廷貴族社会のありさまを記した『栄華物語』は、王朝人の色彩感あふれる世界を描き出しているが、そのなかの一節に「海の摺裳、水の色あざやかになどして」とある。
本来は水に色があるのではなく、水色とは海の波面や、山の合間をぬって流れる澄んだ川面に天空を映して、その青さを吸いこんだように見える色をいったのである。
日本ではこうした情景はもうなかなか見られなくなったが、一昨年だったか、夏の岐阜県の長良川の上流へ、鮎釣りの名人という人に連れられて行った。導かれるままに、小さな橋の上に立って、鮎が銀鱗を見せる姿を追ったが、その時の空の青さを映した深い流れを見て「水色」を感じたのである。もうすぐ、私の工房の近くの畑では蓼藍の葉が育ってくる。
梅雨の湿りをおびて、日毎に背が高くなってくる。7月にはいると太陽の強い日ざしが、その葉を色濃くしていく。緑の美しい葉がふれあうように育っていく。
7月も20日をすぎると朝早くから工房の若い人たちと、その葉を摘んできて、細かく刻んで、揉み込んでいく。30分ほどすると美しい緑の液ができる。それに生絹というカイコが吐いたままの透明な絹糸を浸ける。やがて緑は消えて、そこには青の空を映したかのような水色が付いている。それを見ると、王朝人と同じように、その鮮やかな色に眼をうばわれるのである。
水色の色標本と詳しい解説は
『日本の色辞典』をご覧ください。
吉岡幸雄・著 (紫紅社刊)