12月17日は春日御祭、午後1時には春日大社、一の鳥居をすぎたところの影向 (ようごう) の松に、田楽、清男 (せいなみ)、猿楽など、御旅所前で行なわれる芸能の一座が参集する。
ここの松は神が降りてくる「影向の松」といわれているが、私見ながら、この名は御祭が始まった平安時代の後期あたりか、もう少し前に「松信仰」がおこったように思われる。
日本では、古来、榊が文字どおり神木であったわけだ。『源氏物語』などの「賢木」の帖にも、光源氏が野の宮にいる六条御息所を訪ねる場面で、榊に木綿(ゆう) (楮の木の白い皮) つけてという場面が見られる。
今日でも、たとえば京都の八坂神社の朱の鳥居にも、榊に御幣が付けられたものが結ばれている。「榊への信仰」とともに、平安時代から松信仰が起きている。
松喰鳥の文様があらわれてくる。正倉院の時代は花喰鳥であるのに、鶴が松をくちばしにくわえている姿が表されてくる。大阪の四天王寺所蔵の「松喰鶴文飾金具錦包懸守」などを見ると松があるからだ。
春日御祭では、神が鎮座される御旅所も松の大木で造られ、屋根には松葉が敷かれている。その一方で、三笠山のふもと春日若宮から神が出てこられる時は、榊に囲まれて出てこられ、還られるときも同じ姿だ。
12月は行事が少なくてさみしい。そんな私にとって、春日御祭が心の拠りどころである。そのようなこともあって、ここでは「松と榊」について想いをめぐらしたわけである。
花喰鳥は『日本のデザイン5: 鳥・蝶・虫』より
吉岡幸雄 (編集)
紫紅社刊
松喰鶴は『日本のデザイン7: 松・竹・梅』より
吉岡幸雄 (編集)
紫紅社刊