「幡」と書いて、「ばん」あるいは「のぼり」とも読む。古く仏教寺院などで慶賀の法要がある日などに、高い塔の上、または大門、庭などに飾る、華麗な「旗」のようなもので、その日が特別の日であることを知らしめたものである。神社で、祭礼の日などに、たとえば「八幡大明神」と大きく染め抜かれた幟を参道の両側に立てたりするのと同義である。
かつて紙は贅沢品であり、まして電波媒体などはなく、広く人々に行事の日時を報せる手段といえば、木製の高札くらいであったから、「幡」は、格好の広報手段であったのであろう。
私は植物染の工房を営んでいるので、古い社寺からこのような旗や幡の製作を依頼されることがたびたびある。絹糸を染めて織ったりして、多彩な色で表現し、意匠にも工夫を凝らして仕上げていく。
このような仕事をしているせいか、商店街に売出しのなどに幟がなびいていると、ナイロン製でしかも化学染料かインクで彩色されたいやな感じの色が多くて、思わず眼を背けてしまうことがある。
京都へ観光に訪れる人たちは、古都に対してある種の思いを抱いているわけだから、商店街の幟といえど、素材や色彩表現に、もっと配慮があってもいいのではないだろうか。たとえば、生成りの麻布に手書きの墨文字でもよい。あるいは型染だったりすれば、染織の街・京都にふさわしいのではないかと考えるのである。