京都の街を歩いていて、最近建てられたばかりの家を見ていると、玄関というか、家の入り口にあたる大部分が車のためのガレージで占められていることに気づく。昔なら、門があり、前庭を抜けて玄関へ、というのが定型であったようだが、いまはそこそこの大邸宅でも、中央にシャッターつきの厳しい感じのする車庫がある。
街を散歩していて、その大小にかかわらず、家の正面には車が停まり、意匠的にも美しいとは思えない車庫があるとすれば、眼を背けたくなるのは私だけだろうか。
門とか玄関というものは、客人を迎える空間であるから、心地よい空気が流れているようにいつも心がけておくのが当たり前だと教えられてきた。
私の亡き母は、毎朝、お弟子さんたちがやってくると、「かどを掃きや」といい、玄関からの先の道を掃き、水をまくことをまず一番の仕事にしていた。洛南の長屋のような小さい家であるが、昔から住んでいる人たちは、それぞれに表構えを整え、共同空間である道を美しく保つことを、誰とはなく心がけていたのである。
街並み保存とか、景観保全ということばをよく聞かされるようになったが、私からみれば、京都の街の姿は年々醜くなっている。
個人の家に限らず、新しく建つ大きなビルやマンションも同様である。車が入るところは大きく開いており、歩いてきた人は入り口を探すのに苦労するようなところもある。
神社や古寺にも貸しガレージがあり、入り口の近くや塀のまわりに車が並び、訪れる人はまず色とりどりの車を見て、その間の細い道を通ってお参りすることが多い。
自分たちの便利さだけを考えて、他人がそれをどう感じるかということはまったく念頭にないのである。
京都へは年間何千万という観光客が訪れるという。そういう人たちは、何かしら、古都への想いを抱いているはずである。祇園や上賀茂神社の社家の一角、大原や嵯峨野といった特定の場所だけでない。街なかの、ちょっと入った路地や図子も歩いているはずである。その人たちに、このあたりは美しい佇まいでしょう、と自慢できるようなところはほとんどないといってよい。
かつての京都はそうではなかった。意識をもって自分たちの通り、家並みをいつも美しく整えていたのである。それは、桃山時代の終わりに京の街を訪れたポルトガルの宣教師、ジョアン・ロドリーゲスの次のような記録にもあらわれている。
都という都市にはきわめて広い道路がついていて、
この上なく清浄である。
その中央を流れる小川と、泉のすばらしい水が全市に及んでいて、
道路は二度清掃し水を撒く。
従って道路は大変きれいで快適である。
人々は各自の家の前を手入れし、かつ、
地面に傾斜があるので、泥土はなく、雨の降った場合にもすぐ乾く。
私は、四百年前のこのような京の街を想い浮かべながら、この稿を書いている。
(2003年9月12日発行の京都新聞・夕刊「現代のことば」より)