彩 (いろ) を染めることをなりわいとしているので、色=色情と解して、いいお仕事ですねと、ひやかし半分にいわれることがたびたびある。そんなときは、いやむしろ彩は表現するばかりで、あちらのほうはもう一つです、と答えておく。
「色気がある」とは、いまではよく使われることばであるが、辞典などを引いてみると、そう古くからのことばではないらしい。「色気より食い気」というせりふが、歌舞伎に出てくるくらいで、どちらかというと江戸の終わりか、近代のことばであろう。
古語で同じような意味で「色好み」というのがあって、これは『伊勢物語』などに出ている。王朝の貴人たちの、男女を問わず色情を好む人を表わしている。中世になると、それだけはなく、風流を解する通人にも適用されるようになる。何も色一筋だけでなく、もののあわれを解する人でもあるのだ。
ともあれ、人間の生きていく源は、つきつめればさきの歌舞伎のせりふではないが、色と食である。
古来より洋の東西を問わず、人は高い地位につくほど、美味を求め、華麗な彩りを求めつづけてきたのである。
彩でいうと、今から2500年前あたりから「紫」が権力者の象徴となってきた。紫は青と赤の間の彩で、それをひと眼見ると、誰しもが妖艶な感じをもつ。まさに色気を感じるのである。
それでも現代では、紫の色というのは女性が纏うもので、男が着ているのはほとんど眼にしないように思う。
ところが、古代の皇帝とその一族は、男性も紫を着用して、黄金の冠とともにその権力を誇り、象徴的な彩としていたのである。
私はその理由の一つに、紫という色が、赤と青の間色であるから、皇帝が民衆の前に立って演説をぶっている間に、太陽が輝くように照りつけたときに、彩が妖しく千差万別に変わりつづけて、不思議な世界に引きこんでいくからではないかと想像している。
ギリシャやローマ帝国の皇帝たちは、地中海に生息する貝の内臓から採った染料で赤紫色をかもし出していた。
はからずも、中国でも同じころ、紫が王族の彩であったが、こちらは紫草の根で染めていた。
どちらも私どもの工房で古法にのっとって再現しているが、いずれも眼の奥底に染み入るような彩である。
紫、そして鮮烈な赤など麗しい彩は、どの権力者も求めつづけてきたものである。
ところで、色のことは色彩と書くが、同義語ではない。「色」という文字は白川静先生の『字統』によると、人と人とが抱く形で交わることを表わしているという。まさしく色情に相応する。
私のもっぱらとする「彩」は、木の果などを表わしているという。花樹、根、皮などから色素を採るからであろうか。
「英雄色を好む」ということわざがあるが、右のようなことから、英雄は色と彩を好むと記すべきであろう。
『正論』(産経新聞社刊)7月号より