兵庫県神崎郡福崎町の「妙法山蓮華寺」という御寺は、昨年 (平成十四年) 四月に新本堂建立百年および同寺収蔵の日像菩薩染筆とされる「曼荼羅御本尊」が伝えられてから四百年という記念すべき年を迎えられ、さらに八年に一度営まれる像師大法要がかさなった。それを機に本堂内にかかげる幡や袈裟などの制作を私どもの工房に依頼された。
そのおりに蓮華寺さんから、寺名の一字「蓮」の文様をテーマとして意匠 (デザイン) していただきたいとのご要望があり、私どもは鎌倉時代に織られた蓮文様の錦などを参考に、植物染で糸を染めて華やかな織物を制作させていただいた。
昨年四月に行なわれた像師対大法要のあと、御住職から幡の制作工程や当日の法要の様子などを組み入れた記念の本を制作したいとの旨があり、現在もそれに取り組んでいる。
その流れのなかで榮井さんからひとつの提案があった。本の中表紙や扉に、蓮で染めた和紙を使うことはできないかということである。
私どもの工房では、今日まで蓮の葉や実を染料として使うことはなかった。榮井さんからのご提案で、私も遅まきながら蓮と染色について勉強を始めたのである。
中国においての紙漉きの技術が完成して、紙を華麗な色に染めたり、それに書いたり描いたりする技術が発展してきたのは五世紀前後とされるが、そうしたものは、七、八世紀にはすでに日本へも、仏教の伝来とともに将来されていたのである。
今回の、蓮による紙染をすすめてほしいとのご提案から、私が古い文献を探っていくうちに、正倉院に伝えられる文書で、天平六年 (七三四年) に書かれたもののなかに「蓮葉染四十二張」という記述があることがわかった。正倉院には実際に蓮の葉で染めた和紙がかつては存在していたのである。
さらに、中国の明時代に編纂された『天工開物』という書物には、絹や麻、紙という繊維の種類は明らかにされていないが、「茶褐色。蓮の実の殻を水で煮出して染め、さらに青礬水を上にかける」という一文があることがわかった。
日本の奈良時代はさきの『正倉院文書』を見ると、葉で染色し、中国の明の時代 (十五〜十七世紀) には実の殻で茶褐色に染めていたということは実に興味深いことである。
こうしたことから、私どもの工房でも、蓮で紙を染めてみようということになった。
兵庫県播磨地方にある杉原の里は奈良、平安の昔から紙漉の里として知られている。
蓮華寺さんもできれば地元の紙を使いたいとのご意向であったので、杉原紙研究所の井上所長にご無理を申しあげて、漉いてもらうことにした。
材料は楮 (こうぞ) の皮を用いることにして、まずその黒皮、すなわち外皮をむいて、内側の白皮だけにして、山からの清流にさらしてから、灰汁で煮く。それを何度も叩いて、叩解 (たっかい) して紙料とするのである。できあがった紙料を、工房に送ってもらった。
工房ではその紙料の到着を待って、染色にとりかかった。蓮の葉と茎は大きなステンレス製の鍋に入れて、水から煮出した。沸騰してから、三十分。液は淡い褐色である。いったん葉と茎をとりだしたあとに、さらに新しく水を加えて煮る。これを三度くり返して染液とした。そこに楮の紙料を入れて染色し、半日たってから、次に明礬という天然のアルミニウムの液に入れて発色させる。こうした工程を三日間繰り返していくと、紙料は黄色に少し茶色がまざったような色に染まった。
私たちの予想ではもう少し、茶色が強いかと思ったが、思いのほか黄みが強いのに驚いたのである。
このたびの蓮華寺さんのご依頼によって、蓮の染色という試みにより、あらためて古い文献を探り、実際に行なったことによっていくつかの発見をすることができた。
これも仏教にいう「縁 (えにし)」であろうが、こうしたことを機会に、もっと広い視野をもたないといけないと反省しているしだいである。
ちなみに、今回もちいた蓮の葉は現在は薬草として売られているもので、利尿、止血、精神の沈静、腰痛、下痢などに効用があるそうだ。
蓮は古代より聖なる花として洋の東西を問わず崇められてきたが、また「医色同源」の植物でもあるわけである。