今年の秋は例年より寒さが厳しいようで、山の樹々の葉が色づくのも早くなるような気がする。
秋の紅葉は古くより「錦」の織物の美しさにたとえられてきた。
『古今集』のなかの秋歌下に「霜のたて 露のぬきこそ よわからし 山の錦の 織ればかつ散る」という歌が収録されている。
山の紅葉は秋になって、霜と露とがおりてきて、日がたつにつれてその色が増していく。織物の経糸は霜が、緯すなわち横糸には露がかかって、彩りを深めていくと表現している。しかし、その糸が弱いのだろうか、織りあがったところから散っていく、との意味である。織物は本来そう弱いものではないが、寒さが増していくと、紅葉が風に吹かれて散っていく、わびしさをこう表現しているのである。
この歌の本題は、『万葉集』にあるそうであるが、この作者たちは、機織をつぶさに見て、よく観察して、表現していると感じる。
今の作家や歌人などよりよほど勉強しているではないか。
京の秋が深まっていく。
今年は私は11月の下旬、大原野神社や花の寺へ行って、なつかしい昔日をしのびたいと考えている。
『嵯峨野・四季のうつろい』
岡田克敏 写真集 (紫紅社刊)
嵯峨野は人を、あるときは詩人にあるときは歴史家に、そしてあるときは丸裸で無名の旅人にする。