15年ほど前になるが、ある建築雑誌に連載で、「京都の意匠」というタイトルで、京都の社寺や民家などの細部の造形美について書いたことがある。ある回は、「看板と暖簾」というテーマであった。
貨幣経済が発達するまでは、街や村には決められた日に市がたち、物々交換が行なわれていた。やがて、都市の機能が整うと、そこには恒久的な店舗が構えられるようになる。すると、何を商っているのか、どういう屋号なのかを表示して、通りを行く人びとに知らせ、呼び込むことが必要になって、店先に暖簾が掛けられるようになった。しかし、軒下に掛けられた暖簾は、正面近くまで来なければ見えない。
江戸時代になって都市が大きくなり、通りを行き交う人も多くなってきた。そこで、軒先に看板が掲げられるようになり、それは通りに直角に突き出すことも可能であるから、より目立つ存在になったのである。江戸時代の町並みを描く「洛中洛外図屏風」などを細見すると、その意匠には感心させられるものが多い。
かつて雑誌の取材で回ったおりも、建物にも気品が感じられる老舗では、やはり暖簾も看板も重厚で、色といい形といい、感性の高さのうかがえるものが多く、さすがに京都だと感じ入ったものだった。
ところが、このところ京都の街を歩いていると、色遣いがどぎついだけでなく、歩く人を威圧するようなものがあって、心が落ち着かなくなることが多い。「黄色い看板……」などという金融業者のTVコマーシャルの巨大なモニュメントのようなものに、京都の意匠も隠れてしまっているようである。