日本においても紫は飛鳥時代より高貴な色として崇められてきたのである。東大寺正倉院に今日も遺る染織品にも紫草の根、つまり紫根で染められたと考えられるものをいくつか見ることができる。
とくに聖武天皇が御遺愛のものであったという「紫地鳳文軾」がよく知られており、今日もその美しい彩りをたたえている。紫色が高貴な色であるゆえに、奈良時代の大寺院の僧衣も紫の衣を着ていたのである。
紫を染める紫草の根は日本各地から集められていたようであるが、『正倉院文書』に天平八年に、琉球郡(現在の九州大分県竹田市周辺)に紫草園があるという記載があって、その紫草の根が太宰府へ納められ、奈良の都へと運ばれていたことがわかった。
近年、竹田市とその周辺に住む中川藤義氏、十時成也氏、広瀬正熙氏、「紫草」の方々、志土知村の人々らがその復活を志し、作付けをしたところ、きわめて栽培がむつかしいとされていた紫草がよみがえった。
そこで私は、大仏殿建立の記念すべき儀式に、東大寺橋本管長にその紫で染めた衣を着用していただこうと、「古代の紫の道の復活を」と呼びかけて、本年五月竹田市において、この地で採集した紫草の根で糸を染め、京都の染織作家、秦宏子が四菱文綾地に織りあげ、衣として仕立てたものである。
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