椿(つばき)

椿図 尾形光琳筆 団扇絵

椿図 尾形光琳筆 団扇絵

この稿を書いているのは1月1日。私の工房の庭には山茶花の樹が二本植えられていて、今、それぞれ濃い紅と真白な花が満開である。

山茶花はツバキ科で、一見して椿かと見紛うことがあるが、近づいてみると葉が小さいのでそれとわかる。

花は山茶花のほうが早く咲いて、晩秋に彩りを添えてくれるが、ここ二、三日のあいだにもあちらこちらで、もう椿の花が蕾を少し開いているのを見た。椿は、「春」の「木」と書くように、早春に美しい彩りを見せてくれるが、冬の寒さが厳しい頃から、ゆっくりと咲いてくれて、花をゆっくりと楽しめるのがいい。桜のように、満開がほんの二、三日で、一瞬にその美しい姿を消してしまうようなあわただしさがない。

椿は、野や山に、そして庭に、花の彩りがないときに咲くから、いとおしく感じるだけではなく、私は、あの濃い常磐の緑の光沢のある艶やかな葉を、背景が透けて見えないほどにびっしりとあって、それをバックに紅や白の花を付けるから、よけいに眼に鮮やかに映るのではないだろうかと思う。

ツバキの語源には、葉が艶やかな様を表しているという説があるという。花も美麗だが、葉の色と形がより日本人の眼をひきつけているのである。

椿は、まさしく日本の花である。北海道を除いて全国に自生している。

この季節に尊ばれる花としては、梅があるが、これは中国より渡来してきたもので、「松竹梅」という、いわゆる寒さの厳しい時の三つの友「歳寒三友」というのも大陸から伝わった習わしである。

そうすると、日本の古来の、厳寒の折の友は椿の彩であったといえよう。

日本のデザイン3: 牡丹・椿日本のデザイン3: 牡丹・椿
吉岡幸雄 (編集)
紫紅社刊

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葡萄色(えびいろ)

葡萄の襲

葡萄の襲

文字どおり「ぶどう」色と読んでしまうが、この色名の由来は、古代から日本に自生していた「エビカズラ」(葡萄葛) にある。ヤマブドウの古名でる。

ヤマブドウは、山のなかに自生していて、少し開けて陽の射すところによく見られる。秋の終わりには葉が美しく紅葉し、実は紫色に熟す。

この実は食べても美味しく、ジャム、ジュース、ワインにもなり、今は東北地方では栽培もされている。

平安時代の物語や詩歌によく見られる色名で、やや赤味をおびた紫色という表現がふさわしいようである。

『源氏物語』「花宴」の巻では、主人公である光源氏が、右大臣邸の藤の花宴に招かれるが、まだ遅咲きの桜も残っている頃であったので、その出で立ちは、「桜の唐の綺の御直衣、葡萄染の下襲、裾いと長く引きて……」とある。

この葡萄色の襲は、四季に着用されるが、とくに冬から春にかけて着られたようである。ヤマブドウの生態からみれば、晩秋から初冬が好適かと思われる。

ブドウの汁で染めたものという説もあるが、平安時代に記された『延喜式』には、「葡萄綾一疋。紫草三斤。酢一合。灰四升。……」とある。紫草の根を臼で搗いて布袋に入れ、よく色素を揉み出した液で染め、椿の灰で発色させて紫の色を濃くするのである。

そのとき、紫草の根の液には少し酢を足しておく。それは、紫の色を赤味にする工夫である。

日本の色辞典葡萄色の詳しい解説は
日本の色辞典』をご覧ください。
吉岡幸雄・著 (紫紅社刊)

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空五倍子色(うつぶしいろ)

ヌルデの木の五倍子

ヌルデの木にできた五倍子

この漢字を読める方は何人おられるだろうか。この空五倍子色の原典は『古今和歌集』にある。「世をいとひ木の本ごとに立ちよりて空五倍子染めの麻の衣なり」という歌である。あてもなく行脚して、疲れ果てて、木陰にうつ伏している僧侶、その衣は五倍子という染料で染めた、墨色つまり鈍色系統の色を着ているのである。

鈍色というのは、平安時代、近親者が亡くなって喪に服しているあいだじゅう着ている墨色で、近い人の時ほど濃いものを着ることになっている。当然のことながら、僧侶はいつも墨染の衣を着ているわけである。五倍子というのは、そのものが植物ではなくて、ウルシ科のヌルデの木の瘤をさしている。

ヌルデの木に共生しているヌルデミミフシという虫の雌が吻を差しこんで卵を産み付ける。

やがて、そこに一万匹近い幼虫が孵化して樹液を吸うために、大きくなって袋のような瘤になるのである。

それが五倍にもふくれるので五倍子、あるいは付子とも言われる。幼虫は秋になるとそこから飛び出すためにその前に人間が収穫する。その皮にはタンニン酸が多く含まれていて都合がいいからである。これを煮沸して五倍子の液を出して、鉄分のある別の媒染液に入れると淡墨色からだんだんと濃くなっていくのである。

この五倍子は王朝の女人達が成人の証として歯を黒く染める、いわゆるお歯黒の染料でもあった。これを塗ってから、お粥のなかに鉄を入れて鉄気を出したものを塗ると歯は黒く染まる。

 

『日本の色辞典』吉岡幸雄日本の色辞典
吉岡幸雄・著
紫紅社刊

日本の伝統色を、日本古来の植物染により再現。日本の色の歴史や文化を平易に解説。

自然の色を染める: 家庭でできる植物染自然の色を染める: 家庭でできる植物染
監修: 吉岡幸雄、福田伝士
紫紅社刊

家庭でできる草木染め。工程写真1200点とともに、日本の伝統色の染め方をわかりやすく解説。

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支子色(くちなしいろ)

支子の実

支子の実

夏のはじめに白い花をつけてあたりに芳香を放っていた支子は、秋の終わりから冬のはじめにかけて、黄赤色の酒徳利のような形をした小さな実をつける。

中国ではこの実を古くから染料や薬用に用いていた記録があり、日本でも飛鳥から奈良時代にかけて、糸や布を染め、また食物の着色剤として利用していたようである。

私の工房にも、近くの薬草園や、支子の木がたくさんある寺院から実を送っていただく。天日でよく乾かすと、いつまでも黄赤色がのこっており、水に入れてぐつぐつと煎じて染料とする。

椿の造り花

椿の造り花

二月から三月にかけて行なわれる、南都に春を告げる行事として知られる東大寺のお水取りには、二月堂に鎮座する十一面観音に、和紙でつくった椿の花を捧げる習わしがあって、その染め和紙を私の工房から納めている。花びらは紅花染、においと呼ぶ花の芯はこの支子で染めている。

真紅と白の「一枚かわり」という、花びらの色が紅白交互になっている椿の造り花であるが、そのなかに支子で染めた黄色が鮮やかにのぞいている。

支子は布や和紙を染めることが多く、わずかに赤味がかった濃い黄色になっていく。平安時代の人々は、支子色といえば支子の黄色に紅花をかけて赤くして、実の熟した色をあらわしたようで、支子だけで染めた黄色は、とくに「黄支子」と称していた。

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秋の名残

『京・四季のうつろい』岡田克敏写真集より(紫紅社刊)

京都・秋の名残 大原

今年は何十年ぶりか、紅葉の彩りが美しかったと言われている。

京都もいつもより2週間ほど早く色づき、私も久しぶりに麗しい黄や紅の葉のかさなりを観たようだった。11月11日から大分県竹田市へ出かけたが、九重連峰の秋色も存分に味わうことができた。

とくに、滝廉太郎の「荒城の月」で知られる岡城の紅葉は、まさに時にあっていて、感動的な紅葉の襲を観たようだった。

12月に入って、今日大学へ通う道すがら、叡山電鉄の車窓から比叡山をながめていたが、色を失って、松や杉の常緑樹のいわゆる常磐の色になっていた。

このところ毎日のように時雨があって、時には北の方では白いものが舞っているようだ。

昨日、12月7日、客人と一緒に西山、大原野の花の寺 (勝持寺) と大原野神社へ行ってきた。紅葉はすでに散っていて、参道のわきや庭には、人がまるで敷きつめたように、枯紅葉がかさなりあっていた。

大原野神社にはまだこの紅葉がかなり枝ににこっていて、常磐の森を背景にわずかながら初冬のにぶい光のなかで、紅と黄色が飛び散ったように彩りを添えていた。

京・四季のうつろい: 岡田克敏写真集京・四季のうつろい
岡田克敏 写真集 (紫紅社刊)
洛中洛外の細やかな風景美を愛し、永きにわたって歩きつづけ、撮りつづけた一写真家の、心をとらえた一瞬の自然の美。京都を愛する人への贈り物にもどうぞ。

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