「武蔵と吉岡憲法染のこと」

吉岡 幸雄(2002年2月執筆)

2003年、来年のNHK大河ドラマに「宮本武蔵」がとりあげられることになって、私の周辺も少しさわがしくなってきている。というのは武蔵と決闘するという吉岡憲法の兄弟の家は、染屋を営んでいて、私どもの工房もその流れをくんでいるからである。

こうした歴史的英雄の人物像については、つくり上げた話が多くて、史実はどのようなものか確かなことはわからないが、吉岡家は、もともと武家に憲法を教える家系で、京都で室町将軍につかえていたらしい。

そこへ武蔵がはたしあいをしかけて、それに敗れたあと、剣を捨てて、その弟子の一人であった中国人の李三官という人が染色のなかでも黒染にたけていたので、それをもとに京都四条西洞院で染屋をはじめたところ、かなり繁盛して、吉岡染、あるいは憲法染憲法黒憲法茶などという名称が、ちまたで流行したというのである。

私の家は、染屋としてはまだ二百年あまりで、兵庫県の出石の造り酒屋のせがれが吉岡染の一軒に奉公して屋号をもらって独立したのが初代であるから、剣豪吉岡と血のつながりはない。

私の子どもの頃は、堀川通の東西に軒をつらねる染屋のなかには、吉岡という屋号がかなりあって、染屋の代名詞の一つでもあったが、今では、私どもの家一軒になってしまったらしい。しかも桃山・江戸時代の染屋と同じように植物染をなりわいとしているから、報道の方々から、取材をされることがたびたびある。

12月14日にも、NHK大河ドラマのあとに放送される「武蔵伝説の旅」と「剣豪への道、クイズ武蔵が行く」という番組のためにカメラが入った。

その折、私の工房では、寛文時代の「よしおか染口傳」という古い資料にもとづいて、黒染を行なった。

武蔵伝説と吉岡一門、吉岡染についても、諸説紛々で、どれが正しいかはわからないが、これから、少しづつ、庭に落ちた団栗の実を拾い集めるように、このことを私なりにも調べていきたいと思っている。

憲法黒について、詳しくは『日本の色辞典』(吉岡幸雄著) をご参照ください。


『日本の色辞典』(吉岡幸雄著) より

日本橋高島屋 吉岡幸雄の仕事「王朝のかさね色」展
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